SPEAK





JOJO広重
友人の自殺をきっかけに歌いはじめたという森田童子は、75年に衝撃的なアルバム「グットバイ』でデビユーする。透き通るように清い声、学生運動が敗北した後の時代を生きる「若者」の空漠感を象徴的に描いた歌詞、真っ黒のサングラスと中性的なルックスは、消えゆく70年代の重さと、80年代の空虚な明るさの裏に潜む暗い本質を凝縮したような、聞く者の心に突き刺さる歌と相まって、非常に鮮烈なシンガーとして歴史に名を刻むことになる。 
 このアルバムには、彼女が引退するまでライヴで長く歌われた「地平線」映画『オレンジロード急行』で劇中歌に便用された「さよならぽくのともだち」、故郷を旅立つ者にはあまりに衰しい「センチメンタル通り」等、彼女の歌に魅せられた者なら一生涯忘れ得ない曲が多く収録されている。ある意味で彼女の本質的な孤独、人間の存在自体の淋しさ、郷愁への冷徹な視線が凝縮された作品であると言えよう。早川義夫が日本人男性シンガーの最も重要なキーマンであるなら、女性シンガーの最も重要かつ神聖な位置に森田童子は存在し、このファースト・アルバムは、その基本となる聖書のような作品であった。
 歌の中に心の痛みを歌ったシンガーは多いが、森田童子のように、だれもが若かったことを思い出させるような、心の底の何かを引き剥がす強烈な淋しさを感じさせる歌手は他には存在しない。今生きていることの嘘臭さ、自分という存在の空っぼさ、友人や恋人との別れや喪失感を一度でも感じることの出来た人間なら、森田童子の歌に、自分の内側の大切にしておきたい気持ちの何かを発見することが出来たのである。当時このアルバムを購入した者は、このEマイナーの多いギタ−・アルペジオや、あまりに切ないヴァイオリンの旋律、彼女の声の抑揚まで記憶するほど、それこそLPが擦り切れるまで間いたに違いないのである。ひそしてその哀しさに裏付けされたやさしさ、その重さは、単にフォーク・シンガ−としてではなく自分の青春や気持ちの象徴として彼女をとらえる十二分な理由になったのである。近年テレビドラマで森田童子の歌が主題歌に使われた時、当時のリスナーは誰よりも精神的ショックを受けたはずである。20年前の気持ちを掘り起こされた者にとって、今間く昔の童子の歌ほど、本当に哀しい歌はないからだ。そして、当然のように彼女はマスコミの前に姿を表すこともなく、カムバックすることもなかった。


スポニチ
83年の活動停止後、消息不明ともいわれ、一切表舞台に出ることのなかった森田が、20年ぶりに歌った。

 関係者によると、極秘レコーディングを行ったのは今年1月。歌ったのは、80年に発表した「海が死んでもいいヨって鳴いている」を自らリメークした楽曲「ひとり遊び」。

 ♪チィチィよ ハァハァよ あなたのいい子でいられなかったぼくを許して下さい ぼくはひとりで 生きてゆきます―と、青春の心の内側を私小説風にリアルに描き切った森田の真骨頂といえる作品。自宅でギター、ピアノ、ハーモニカといった楽器もすべて独りで演奏。そして何よりも、歌声が20年前とほとんど変わっていないことに驚かされる。


森田童子
私は何もできない。動けなかった。私の歌は、周囲を見ていた自分の意識の投影なんです。人も風景もどんどん変わっていく。だけど自分だけが同じ所にいるような気がして……。何もしていなかった時間を、どうやって経験してきたか。こうなって欲しかった。多分こうだったんじゃないかという想いが、私の一つのエネルギーになっているんです。


消えてしまうものが美しいのはどうしてでしょう

今の時代で、あまりにも不確かになってしまったもの。たとえば愛とか。そういったものを、もう一度たぐって突きつめてみたいと思ったんです。人間がプリミティブなものとして持っている心情の機微を、人形芝居でたどって見たらどうなるだろうと考えた。人形ってぎこちない手足を動かしながら、もどかしいぐらい抱き合う。もどかしいぐらいに泣くわけでしょう。生身の人間が同じことやるより、すごく切ない。そういった人形たちに、人間の心情の機微をふきかえて、簡単な言葉と簡単な動作で表現してみたかったんです。



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